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村松 繁の経歴と想い

経歴

昭和56年3月 静岡県立藤枝東高等学校卒業
昭和56年4月 中央大学 法学部 法律学科 入学
昭和60年3月 中央大学 法学部 法律学科 卒業
<職歴>
昭和60年4月 家業のパン屋を継ぐべく修行に入り翌年実家に就職
平成2年8月 大日本印刷株式会社 入社
平成9年6月 大日本印刷株式会社 退社
平成9年7月 ソニー生命保険株式会社 入社
平成14年8月 ソニー生命保険株式会社 退社
平成14年9月 保険代理店として独立
平成16年1月 株式会社ライフプラザホールディングス 入社
平成18年2月 株式会社ライフプラザホールディングス 退社
平成18年3月 株式会社ライフプラザフィナンシャル 設立
平成23年8月 保険アイマーク株式会社に社名変更
令和元年11月 アイマーク株式会社に社名変更

想い

大学時代は学業というより、
赤坂の田町通りにあるクラブでバーテンダーのアルバイトをして
社会勉強の方に力を注いでいました。

大学卒業後、実家がパン屋さんだったため、
1年間パンの製造・販売の修行をして実家に就職。

しかし、20代で社会を知らず家業に入ってしまったら
このままでは何もできない人間になってしまう…。
もっと社会を知りたい。大きな組織の中で活躍したい。
そんな思いから大日本印刷株式会社に転職しました。

大日本印刷時代は、『企業内起業家』という志を胸に秘め、
事業部の枠を超えた仕事に積極的に向かいました。
書籍の印刷を担当する部署だったのですが、それだけではなく、
ホログラム開発やコンピュータ開発など
新しい技術を研究開発する部署にアンテナを伸ばし、
新技術を活かす道の開拓に取り組んだのです。
おかげで技術者たちから
「こんないい技術があるんだけど、何か使える方法を考えてくれ」と
頼っていただくようになりました。
この時の人脈の作り方や、「人の役に立つ仕事をする」という経験が
その後の生き方に大きく役立っています。

主だった仕事として
  • ヤマハスキーホログラムモデルの開発と製品化
  • 任天堂スーパーマリオキャンペーンホログラムカード
  • B’zメンバーズカードホログラムモデル
  • ジュビロ磐田Jリーグ昇格にともなうカレンダー、サポーターズマガジンなど一切の取材、編集からの受注
  • 静岡リビング新聞の印刷受注
  • 清水銀行エスパルス通帳の受注
  • 静岡新聞社 空から見る静岡県(航空写真集)の取材からの受注
  • 静岡新聞社 静岡県人名録のプロジェクトマネージャー
などを手がけました。仕事は本当に楽しく、充実していました。

まだ、会社には帳票をプリントする端末が2台ほどしかなかった時代。
いち早くコンピュータに興味を持ち、「日経コンピューター」を購読し、
今後、パソコンの時代が来ると
上司の許可を得て個人のパソコンを会社に持ち込んだりもしました。

「日経コンピューター」に、
“ソニー生命が営業一人に一台のノートパソコンを支給”という記事が載り、
ソニー生命という会社に興味を持ち始めていた時、
タイミングを合わせたように、ソニー生命からリクルートのオファーが。
半年あまり悩んだ末、転職を決意しました。

ソニー生命はあくまでも個人主義の会社なので、
組織人としての成長は今後は望めないのかな、と覚悟をしての転職でした。

自分の特徴を生かす。
策を練ったりすることが不得意の私には
「人の喜ぶことを本気でやる」しかありません。
ただただ正直に生命保険営業の仕事に打ち込みました。
その結果、ソニー生命では入社から2年間(105週)、毎週契約で表彰。
コンテストなどは必ず入賞。3000名ほどいる営業マンの中では常に
50〜150番ほどの成績を収めることになりました。

私より上位の営業マンを見ると、
圧倒的な押しの強さと、コテコテの人間性を前面に出す人ばかり。
「これはかなわないなぁ」と感じましたね。
そして、自分が彼らと互角に戦うには、やはり
組織力でお客様に対応する方法が必要だと確信。
それが現在の事業に結び付くことになります。

5年間、営業として活動した後、個人代理店として独立。
同時に、ソニー生命時代に知り合った全国の新聞販売店の皆さんと
全国の隠れた逸品を紹介する通信販売事業にチャレンジするも挫折という
苦い経験もしました。

保険代理店としては、ソニー生命のコンベンションであるSPCに入賞。
株式会社ライフプラザホールディングスの今野社長と出会い、
意気投合し平成16年1月同社に入社。
同時に『ほけんの窓口 静岡店』を開店させ、店長に就任。
その後、当時、株式会社ライフプラザホールディングスの本社があった
横浜市の港北ニュータウンに単身赴任し、
執行役員店舗開発部長として新店舗の開発やフランチャイズシステムの開発に従事。
ここでFC事業の全容や組織力を生かした事業経営の経験を積むことができました。

来店型保険ショップという形態の未来と可能性を知ることで、
もっと自分の理想とするサービスを提供したいと
平成18年2月 自分が作ったフランチャイズシステム(当時の呼び名はTOシステム)を利用して独立。
平成18年2月『ほけんの窓口 藤枝店』オープン
平成18年3月 株式会社ライフプラザフィナンシャル設立
平成20年7月『ほけんの窓口 焼津店』オープン
平成20年8月『ほけんの窓口 草薙店』オープン
平成23年2月 ライフプラザホールディングスのFCから脱退
         新規オープンの店舗『保険アイマーク鷹匠店』を含め全4店舗のブランドを
         『保険アイマーク』に統一
平成25年1月『保険アイマーク鷹匠店』閉店
平成25年10月『保険アイマーク草薙店』閉店
平成25年10月『保険アイマーク藤枝店』閉店
平成28年3月『保険アイマーク焼津店』閉店
平成28年3月 本社事務所を藤枝市築地に移転
令和元年11月 本社事務所を焼津市東小川に移転、現在に至ります。

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